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浦和地方裁判所 昭和57年(ワ)1114号 判決

原告

宇田川一男

ほか三名

被告

有限会社岩淵産業

ほか一名

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

原告ら訴訟代理人は、「被告らは各自原告宇田川藤一に対し金二六二万一四六三円、原告宇田川一男に対し金一七四万七六四二円、原告宇田川清に対し金一七四万七六四二円、原告宇田川勇に対し金一七四万七六四二円及びこれらの各金員に対する昭和五五年四月八日から各完済に至るまで各年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被告ら訴訟代理人は、主文と同旨の判決を求めた。

原告ら及び被告らの各訴訟代理人は、次のとおり述べた。

一  原告らの請求原因

1  被告板橋健次は、昭和五五年四月七日午後五時ころ、普通貨物自動車(以下「被告車」という。)を運転して、川口市大字安行領家五二六番地先道路(以下「事故現場」という。)を進行中、道路前方左側を歩行中の訴外宇田川ふみ(大正四年五月八日生)に被告車を衝突させ、同人を死亡させた。

2  原告宇田川藤一は、ふみの夫であつた者であり、原告宇田川一男、原告宇田川清及び原告宇田川勇は、いずれもふみの子であつて、法定相続分に従い、ふみの権利義務を承継した。

3  責任原因

(一)  被告板橋は、本件事故の発生について前方注視義務を怠つた過失があつたから、民法七〇九条の規定による損害賠償責任を負う。

すなわち、本件事故は、被告板橋が停止中の被告車を発進させる際に発生したものであり、その際被告板橋としては左前方を歩行中のふみを発見することができ、かつ、ふみを発見していれば容易に事故の発生を防ぐことができたのであるから、被告板橋には発進に際しての前方左右の安全確認義務を怠つた過失があつた。

(二)  被告有限会社岩淵産業(以下「被告会社」という。)は、被告板橋の使用者であり、かつ、被告車の保有者であつたから、民法七一五条又は自動車損害賠償保障法三条の各規定による損害賠償責任を負う。

4  損害

(一)  ふみの逸失利益 六八三万四三九一円

ふみは、死亡当時六五歳であつたが、元気で掃除婦をしていた者であり、あと八年間就労可能であつた。六五歳の女子の平均収入は月額一二万三五〇〇円であり、生活費として三〇パーセントを控除した上、ホフマン式計算法(係数六・五八八)により中間利息を控除して、逸失利益を算出すると、六八三万四三九一円となる。

(二)  葬儀費 七〇万円

(三)  慰謝料 一二〇〇万円

(四)  治療費 二万四五〇〇円

(五)  文書科 一三〇〇円

(六)  弁護士費用 四〇万円

以上の合計額は一九九六万〇一九一円である。

5  損害の填補

原告らは、本件事故について自動車損害賠償責任保険より一二〇九万五八〇〇円の支払を受けた。

6  原告らの相続

原告らは、5の填補額をもつて4の損害額の一部弁済に充当し、残額の七八六万四三九一円を法定相続分に従つてそれぞれ相続した。

7  そこで、被告ら各自に対し、原告藤一は二六二万一四六三円、原告一男、原告清及び原告勇は各一七四万七六四二円並びに各金員に対する事故発生の日の翌日の昭和五五年四月八日から各完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告らの答弁

1  1の事実を認める。

2  2の事実は知らない。

3  3の(一)の事実を否認する。

3の(二)のうち被告会社が被告板橋の使用者であり、かつ、被告車の保有者であつた事実を認めるが、その余の事実を否認する。

4  4の(一)及び(三)の各事実を否認し、その余の事実は知らない。

5  5の事実を認める。

6  6の事実を否認する。

三  被告らの抗弁

1  被告板橋には本件事故の発生について過失がなく、本件事故はふみの一方的過失によつて発生した。その理由は次のとおりである。

(一)  事故現場は、安行街道の丁字型交差点の手前道路上である。左右にはガードレールが設置され、交差点には信号機が設置されていて、交差点の手前に横断歩道が設けられている。

(二)  被告板橋は、被告車(大宮一一さ二四五)を運転して草加市方面から事故現場に差しかかつたが、信号機が赤色を示していたので、先行車と約一・四メートルの間隔を置いて停止し、約一分後に信号機が青色を示したのを確認して、先行車に続き発進し、停止線に差しかかつたところ、被告車の左前部がふみに衝突し、同人を左後輪で轢過した。

(三)  ふみは、事故現場近くまで歩道を歩行していたが、被告車が信号待ちで停止していたため、ガードレールの切れ目から車道に出て、被告車の左側直近を歩行し、被告車の前方直近を横断しようとした。

(四)  ふみが被告車の左側直近を歩行した場合、同人の身長が一・四メートル以下であつた(腰が曲がつていた。)から、被告車の運転席からは死角となり、各ミラーでも同人を発見することはできなかつたし、また、同人が被告車の前方直近を横断した場合、運転席から直視しても、同人を発見することはできなかつた。

ふみの右のような行動から、被告板橋は、被告車を発進させる際にふみを発見することができなかつたのであり、被告板橋には事故の発生について過失がなかつた。

(五)  これに反して、ふみは、横断歩道によつて道路を横断すべき義務があつたのに、これを怠り、かつ、周囲の道路状況及び安全を確認して横断すべき義務があつたのに、これを怠つて、横断歩道の信号が青色であるものと軽信し、被告車の直前を横断しようとしたのであるから、本件事故は、ふみの一方的な過失によつて発生したものである。

2  被告会社は、日ごろ自動車運転者の選任・監督義務を尽くし、被告車の点検整備義務を尽くして、被告車の運行に関し注意を怠らなかつた。

3  被告車には構造上の欠陥又は機能の障害かなかつた。

4  仮に被告らに過失があつたとしても、本件事故は、ふみの重大な過失によつて発生したのであるから、損害額の算定に当たつては、ふみの過失が斟酌されるべきである。

四  抗弁に対する原告らの答弁

1  1の事実を否認する。被告板橋に過失があつたことは、請求原因3の(一)のとおりである。

2  仮にふみに過失があつたとしても、原告ら主張の損害額は、自動車損害賠償責任保険の死亡損害金である二〇〇〇万円の範囲内のものであるから、過失相殺をするのは相当でない。

証拠関係は、次のとおりである。〔証拠関係略〕

理由

一  原告ら主張の請求原因1の事実は、当事者間に争いがなく、同請求原因2の事実は、記録中の戸籍謄本四通によつてこれを認めることができる。

二  そこで、本件事故が発生するに至つた状況について検討するに、いずれも原本の存在及び成立に争いのない乙第一ないし第七号証並びに被告板橋健次本人尋問の結果(以下「被告板橋の供述」という。)によれば、次の事実を認めることができる。

1  事故現場は、南方に通する県道吉場安行東京線の道路上で、衝突地点の南方直近の箇所には、県道とこれに東方からほぼ直角に交わる幅員約七・一メートルの道路との丁字型交差点があり、その交差点には信号機が設置されていた。

県道には歩車道の区別があり、アスフアルト舗装で、東西の両端に有蓋の側溝が設置されていた。県道は直線状で、平坦であり、乾燥していた。東側及び西側の各歩道と車道はガードレールによつて区画され、ガードレールは、東西両側のものとも、所々でとぎれていた。車道の中央部にセンターラインが標示されていた。

2  被告板橋健次は、被告車を運転して、県道の東側走行車線を北方から南方へ向かい走行していた。

県道の車道の幅員(両側のガードレール間の距離)は約六・七メートルであり、被告車(大宮一一さ二四五号)はいわゆるダンプカーで、車両総重量七六九五キログラム、最大積載量四〇〇〇キログラム、車長五・二七メートル、車高二・四八メートル、車幅二・一〇メートルであつて、事故当時には何も積載していなかつた。

3  被告板橋は、事故の発生前、被告車を運転して交差点に差しかかつたが、信号機が赤色で、前方にライトバン一台が停止していたので、ライトバンの後部から被告車の前部までの間に約一・四メートルの間隔を置いて、被告車を停止させた。その時ライトバンの左側部と東側ガードレールとの間には約一・三メートルの間隔があり、被告車の左側部と東側ガードレールとの間には約一・〇メートルの間隔があつた。

また、事故現場の県道の東側には訴外吉沢某の居宅があつて、その出入口が県道に面していたので、県道の東側ガードレールは、吉沢方出入口の西方に当たる部分約五・〇メートルにわたつて設置されておらず、切れ目ができていた。そして、停止した被告車の後部は、東側ガードレールの切れ目のある箇所から約一・〇メートル離れた位置にあつた。

県道の東側ガードレールの東側には、有蓋側溝を含めて幅員約一・四メートルの歩道が設けられていた。

4  前方の信号機が青色になつたので、被告板橋は、先行のライトバンに続いて被告車を発進させたところ、その直後に被告車の前部バンパーの左端付近(左端から一〇センチメートルないし二四センチメートルの部分付近)を歩行中の宇田川ふみに衝突させて、ふみをその場に転倒させ、更に約三・一メートル走行した地点において、被告車の左後輪でふみを轢過し、その場でふみを死亡させた。

被告板橋は、事故前にふみの姿を見ていなかつたので、ふみを轢過した時にゴトンという衝撃音を聞いたものの、事故の発生に気付かず、そのまま約三六・六メートル走行して被告車を停止させた。

5  被告車の左前部とふみとの衝突地点から東側ガードレールまでは約一・七メートルの間隔があり、ふみの轢過地点から東側ガードレールまでは約一・五メートルの間隔があつた。また、最初の衝突地点から南方約一一・三メートルの箇所に、県道を東西に横切る横断歩道が設けられていた。

三  次いで、被告板橋及びふみの過失の有無及び程度について検討する。

1  前記二に認定した事実と被告板橋の供述によれば、ふみは、県道の東側の歩道を北方から南方へ向かい歩行して、交差点に差しかかろうとしたが、車道にライトバン・被告車等が信号持ちのため停止していたので、吉沢方出入口西方のガードレールの切れ目の箇所から車道に出て、被告車と東側ガードレールとの間を南方へ歩行し、更に被告車とライトバンとの間を通過して車道を東方から西方へ横切ろうと考え、被告車の左前方まで歩行した時、被告車が発進したので、被告車の左前部に衝突するに至つたものと推認することができる。

2  前記乙第一ないし第七号証及び被告板橋の供述によれば、被告車の運転席は、被告車の前部から約一・四メートル、右側部から〇・五メートル、地上から高さ約二・〇メートルの位置にあり、被告車の左側バツクミラーが前部から約〇・二五メートル、地上から高さ約一・五メートルの位置に取り付けられていたが、ふみの身長が約一・四メートルであつたので、ふみは、運転席の被告板橋から極めて見え難い状況で歩行していた事実を認めることができる。

3  ところで、前記乙第五号証及び被告板橋の供述によれば、被告車の運転席から被告車の左側及び左前方を見渡すときには、視界の範囲に限界があり、いわゆる死角が生ずる事実を認めることができるのであるが、被告板橋の供述によれば、被告板橋は、被告車を停止させている間に、ふみが被告車の左側及び左前方を歩行しているなどとは全く予測していなかつたので、被告車を発進させるに当たつても、被告車の左前方の状況を確認しようとしなかつた事実を認めることができる。

4  しかし、停止した被告車の前方十数メートルの箇所に県道を横切るための横断歩道があり、被告車の後方直近の箇所にガードレールの切れ目があつたのであるから、被告板橋としては、県道の横断を急ぐ歩行者がガードレールの切れ目から車道に出て、停止中の自動車の間を縫いながら車道を横断することがあるかも知れないものと予測し、そのような歩行者の有無及び歩行者の動静について注意をして見る必要があつたものと認めるのが相当であり、また、被告板橋が被告車の運転席から被告車の左側及び左前方をバツクミラー及び肉眼等で注視したとしても、その視界の範囲に限界があつたために、歩行中のふみを発見することが不可能であつたとの事実を認めるに足りる証拠はないのである。

それなりに、被告板橋は、停止中の自動車の間を縫いながら車道を横断しようとするような歩行者はあるまいと考えて、被告車の左側及び左前方に対する注視を怠り、そのためふみの動静に気付かないまま被告車を発進させて、被告車をふみに衝突させた上、ふみを轢過したのであるから、被告板橋には事故の発生について過失があつたものと認めるのが相当である。

5  他方、ふみは、あと一箇月で満六五歳に達する者であつたところ、直ぐ近くに信号機の設置された交差点があり、そこには横断歩道が設けられていたのであるから、横断歩道を回つて県道を横断すべきであつたのに、これを怠り、運転席からは極めて見え難い箇所に当たる被告車の左側を歩行した上、被告車の前方を横切ろうとして、被告車に衝突され、轢過されるに至つたものである。また、ふみとしては、被告車の前方に出て車道を横切ろうとしたのであるから、被告車の運転者がふみの動静に気付いているか否かを確かめ、かつ、被告車の動きを確かめた上で、被告車の左前方に歩み出るべきであつたのに、ふみは、右のような注意をしなかつたものと推認することができる。

したがつて、ふみには事故の発生について重大な過失があつたものと認めることができるのであり、その程度は少なくとも三割に当たるものと認めるのが相当である。

四  被告会社が被告板橋の使用者であり、かつ、被告車の保有者であつた事実は、当事者間に争いがない。

したがつて、被告らは、事故によつて生じた損害を賠償すべき責任を負つたものというべきである。

五  事故によつて生じた損害について検討するに、原告らがその主張の損害賠償債権をすべて相続により取得したと主張していることに照らせば、原告らは、その主張の損害がすべてふみに生じたものと主張していると解することができる。

1  逸失利益

ふみは、あと少しで満六五歳に達する者であつたが、弁論の全趣旨によれば、事故当時掃除婦として働いていた事実を認めることができ、昭和五五年の簡易生命表に照らし、あと七年間(平均余命の約二分の一)就労可能であつたと推認することができる。また、ふみは、昭和五五年の賃金センサス(企業規模計・女子労働者・六五歳以上・埼玉県)に照らし、月額一一万四〇〇〇円、年間賞与その他二八万一九〇〇円で、年収一六四万九九〇〇円を得ることができたと推認することができる。前記一に認定した家族構成に照らすと、生活費として五〇パーセントを控除するのが相当であり、ホフマン方式により中間利息を控除して現価を算出すると、八二万四九五〇円に係数五・八七四を乗じて、四八四万五七五六円となる。

2  葬儀費

原本の存在及び成立に争いのない甲第一号証により、七〇万円を認めるのが相当である。

3  慰謝料

前記一に掲げた戸籍謄本四通によつて認められる原告らとふみとの間の身分関係ないし生活関係に照らすと、ふみの慰謝料(ただし、その過失を考慮に入れないもの)としては、八〇〇万円の限度において認めるのが相当である。

4  治療費

弁論の全趣旨により二万四五〇〇円を認めることができる。

5  文書料

弁論の全趣旨により一三〇〇円を認めることができる。

6  以上の1ないし5の合計額は、一三五七万一五五六円である。

7  ふみの前記過失を考慮し、6の合計額のうち、七割に当たる九五〇万〇〇八九円を被告らに負担させるべき損害として認めるのが相当である。

六  原告ら主張の請求原因5の事実は、当事者間に争いがない。

してみれば、被告らが負担すべきであつた損害賠償債務は、すべて自動車損害賠償責任保険の給付によつて完済されたものというべきである。

そうすると、原告ら主張の弁護士費用を被告らに負担させることも、相当でない。

七  以上の次第であるから、原告らの被告らに対する本訴請求はすべて失当であり、これを棄却すべきである。

そこで、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 加藤一隆)

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